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「あれんじ」 2010年12月18日号

【熊遊学(ゆうゆうがく)ツーリズム】
「詩」がその最高峰! 「フランス文学」の楽しみ方

 先端の研究者をナビゲーターに、熊本の知の世界を観光してみませんか! 熊本大学を中心に地元大学の教授や准教授が、専門の学問分野の内容を分かりやすく紹介する紙上の「科学館」「文学館」。それが「熊遊学ツーリズム」です。第8回のテーマは「フランス文学」。さあ「なるほど!」の旅をご一緒に…。

【はじめの1歩】

 大熊教授のご専門は、フランス文学の中でも詩、特にポール・ヴェルレーヌの詩だとお聞きします。ヴェルレーヌといえば上田敏訳の「秋の日の ヴィオロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し…」という詩が思い出されます。
 詩というのは、フランス語の美しさが最大限に楽しめる分野。心が高鳴ります。


Point1 フランス文学の定義とは?

 「画家のポール・ゴーギャンが、私たちはどこから来たのか? 何者なのか? どこへ行くのか? と言っていますが、これが文学研究の基本ではないかという気がします」と語るのは、熊本大学文学部文学科の大熊薫教授です。「文学」というジャンルは幅が広く、詩や小説、文芸評論、随筆、戯曲だけではなく、歴史や哲学も含まれているのです。 
 では「フランス文学」とは何でしょうか? 「フランス文学とは、フランス語で書かれた文学のことです。例えば、思想家のジャン・ジャック・ルソーはスイス人ですが、彼が書いた書物はフランス語で書かれていますからフランス文学なのです」と、大熊教授。
 日本ではフランスを「仏蘭西」と書くところから、フランス文学を略して「仏文学」とも言います。
 そのフランス文学の中でも最高峰に位置づけられているのが「詩」。もともとフランス詩は、ラテン語の俗語の作詩法を起源とし、19世紀までは定型詩を中心に厳密な定義がありました。


Point2 フランス詩の男性韻と女性韻

 フランスの定型詩の形式の一つは「脚韻を踏む」ということです。
 「脚韻」とは、例えばロン(long )とヴィオロン(violon)、ヴェ(vais)とモヴェ(mauvais)という風に詩行の末尾が同音あるいは類似音で終わること。
 これが1行目と3行目で行われ、2行目と4行目は別の脚韻を踏む、あるいは1行目と4行目で脚韻が踏まれ、2行目と3行目では別の脚韻を踏む、という具合に続いていきます。
 さらにフランス語には男
性韻と女性韻があります。
男性韻は、シュフォカン(suffocant)とカン(quand)、スヴィヤン (souviens)とアンシヤン(ancien)のように歯切れのよい終わり方をするため、明快な印象になります。 女性韻は、オトンヌ(automne)とモノトンヌ(monotone)、アンポルト(emporte)とモルト(morte)のように、最後に無音の「e」が付くために余韻が残り、あいまいな印象をかもし出します。
 男性韻や女性韻だけが続くと単調になるので、15世紀に男性韻・女性韻を規則的に交代させることが思いつかれました。平韻または連続韻と呼ばれるのが《男男女女》《女女男男》で終わる脚韻で、交韻と呼ばれるのが《男女男女》《女男女男》、抱擁韻とは《男女女男》《女男男女》という並びのものです。


Point3 フランス詩の醍醐味はリズムにあり

 日本の俳句は五七五、短歌は五七五七七のリズムを持っています。日本語の場合、基本的に子音には必ず母音が付いていますから、1文字を1音節と数え、俳句は十七文字、短歌は三十一文字で構成されます。
 フランス語の場合は、子音が連なっていたり発音されない文字がありますから、基本的には発音される母音の数で音節数が決まります。そしてフランスの定型詩には、Point2で説明した脚韻のほかに「詩行の音節の数が一定であること」という規定があるのです。
 最も多いのは12音綴の詩で、特にアレクサンドランと呼ばれます。なぜ12音綴が多いのかというと、一説には「人間が一息で発音できるのが12音節までだから」とか、「人間の聴覚が、文章として一度に認識できるのが12音節までだから」などと言われます。しかし、大熊教授は「フランス詩は声に出して読まれる文学です。音として聞くと、12音綴(おんてつ)は他の音綴の詩句よりも律動的。これが、多用される一番の理由ではないでしょうか」。 
 リズム、音楽性…これがフランス詩の醍醐味なのです。そして、その醍醐味を味わうのに最も適したフランス詩を書いた詩人が、ポール・ヴェルレーヌなのです。


【ポール・ヴェルレーヌ(1844〜1896) 駆け足プロフィール】

 若いころから詩人を目指したヴェルレーヌでしたが、親に反対されてやむなく市役所に勤め、仕事の傍ら詩作を続けます。このころ『土星びとの歌』や『艶なる宴』などの詩集を発表し文壇に認められますが、私生活は酒を飲んではけんかを繰り返す日々でした。
 しかし友人の妹マチルドと恋に落ち、彼女と結婚するためにきっぱりと酒を断ち、恋の歌を書きつづります。それをまとめたのが『よき歌』です。
 マチルドとの結婚1年後、10歳年下の詩人アルチュール・ランボーと出会い、二人で放浪の旅に出ます。再び酒とけんかの日々が始まり、彼の心はマチルドとランボーの間を揺れ動きます。そのころの心情をつづったのが『言葉なき恋歌』です。
 ベルギーのブリュッセルで、口論の末ピストルでランボーを撃ってけがをさせたヴェルレーヌは、投獄されて約1年半を獄中で過ごすことになります。この間、彼はカトリックに回心し、出所後ヴェルレーヌの詩作は絶頂期を迎え、傑作と言われる『叡智(えいち)』を出版しました。


【メモ1】 フランス詩の変わり種

 元来、フランスの詩は耳で聞いて楽しむものです。でも、中には変わり種があって、目で見て楽しむ詩も存在します。ギヨーム・アポリネールという詩人が1918年に出版した『カリグラム』には、文字で描いた絵のような詩がたくさん登場します。 


Point4 ヴェルレーヌの詩の奥深さ

 19世紀は「フランス文学の宝」と言われるほどフランス文学が豊かに花開いた世紀です。「この時代に排出した作家名はAからZまである」とさえ言われています。
 詩人で言えばシャルル・ボードレール、アルチュール・ランボー、ステファヌ・ラマルメ、そして大熊教授の専門であるポール・ヴェルレーヌが活躍した世紀です。
 ヴェルレーヌが使っている言葉は、フランスの小中学生が分かる程度のやさしい単語がほとんどだといいます。詩の定義にぴったり当てはまる、自然な語りかけるような詩が多く、これが逆に大熊教授の注意を引きました。   「ボードレールが難しい単語を使う知性派なら、ヴェルレーヌは感性で言葉を紡ぐ感覚派です」。研究していくうちに「これほど平易な単語を使って、これほど美しい詩を書けるヴェルレーヌとは、とてつもなくすごい詩人ではないか」と思い始めたそうです。
 さらに「ヴェルレーヌの詩は聖と俗の二重構造になっています」と大熊教授。カトリックに帰依することを「神の愛人になる」と表現するなど、聖と俗が入り混じったり、俗が聖のベールで覆い隠されたりしているそうです。
 「国民の90%がカトリック信者であるフランスの文学を研究するのに、カトリックを知らないでは済まされない」と感じた大熊教授は、大学院時代から今日まで、ずっとキリスト教神学の勉強を続けてきました。30歳の時は一年間パリの修道院で勉強したそうです。その三十数年間の集大成が『ヴェルレーヌ―「聖」と「俗」の狭間で―』(早美出版社)という本に結実しました。
 ヴェルレーヌの詩について、絶頂期に書かれた『叡智』の後は駄作だと言われていますが、大熊教授は「本当に駄作ばかりかどうかを、今後は検証していきたい」そうです


【メモ2】 死後に再発見されたヴェルレーヌの傑作

 ヴェルレーヌの時代は、詩を書くことが直接お金にはつながりませんでした。ヴェルレーヌも詩集は自費出版で、費用は母親持ち。一生貧乏のまま、母の財産を食いつぶしたと言われます。
 彼の傑作の一つ『叡智』という詩集も、出版後は50年間も本屋に山積みされたまま売れず、そのほとんどが捨てられたりトイレットペーパーになったそうです。
 その後、カトリック作家のユイスマンスが、自ら序論を書いて1904年に再出版したのをきっかけに、初めてベストセラーとなりました。


【メモ3】  図書館の語源は「聖書」

 よく「すべての学問の始まりは聖書だ」といわれますが、聖書に書かれていることを確認するためにさまざまな学問が生まれたと言っても過言ではありません。「空に輝く星々は神が作られた」ということを調べるために天文学が生まれ、数学が発達しました。錬金術が化学になりました。フランス語で図書館は「ビブリオテック(bibliothéque)」と言いますが、語源は「聖書(bible)」から来ています。聖書1冊には図書館全部の知識が詰まっているというわけです。


【なるほど!】
文学は、人間とは何かをいろんな面から研究する学問。
文学に新旧はありません。

熊本大学文学部文学科(仏文学) 
大熊 薫 教授

 脚韻に加えて男性韻と女性韻を駆使し、さらにすべての行の音節をそろえて書かなければいけないフランスの詩…、語彙(ごい)がよほど豊富でないととても書けません。フランス文学の最高峰と言われるゆえんですね。それを研究するとなると、フランス語に堪能なだけではなく、キリスト教にも造詣が深くなければなりません。それを実践し、一人の詩人についてひたすら深く研究を続ける大熊先生に脱帽です。